比嘉伊作(行財政局首席予算計画調整官)さんへのインタビュー

平成29年2月7日
前職及びCTBTOに勤務することとなった経緯や動機について
 
大学卒業後2年間外資系金融機関に勤めた後、米国留学し経営学修士号を取得、ニューヨークで監査法人・金融機関におよそ10年、世界銀行グループの一機関である国際金融公社(IFC)におよそ11年勤めた後、CTBTOに転職しました。
 
IFCでの仕事に飽き足らず転職を考え、引き続き他の国際機関で社会的な目的のために役立つことを続けたいと思っていた時にCTBTOの空席案内を見つけ、軍縮・核実験禁止という目的に共鳴し応募しました。最終的にCTBTOからのオファーを受け入れることを決めた理由は、この組織が「国際監視制度(IMS)」という全世界300か所以上の核実験の監視観測施設を設置・整備・運営し、そこから送られてくるデータをウィーンにあるCTBTOの国際データセンター(IDC)で日々解析を行うという、実体のある組織であったことです。
 
CTBTOでの仕事内容について
 
Chief of Budget and Planning – Division Coordinatorという長い役職ですが、主な仕事として中長期戦略と2か年予算の作成、予算執行の管理、加えて行財政局の次席として局内外の連携、協調案件の推進、トラブル・シューティング、ウィーンにある他の国連機関との行財政面での協力を行い、共有施設運営委員会などにも組織の代表として出席しています。
 
私は長年金融関係の職場で働き、財務・予算・会計の仕事をしてきたので、それらの分野での経験・専門知識はすぐに職場で活用することができました。特に民間・国際機関を通していくつかの異なる環境で働いてきたことによる多様な経験は、専門知識を新しい組織で生かすことに役立ったと思います。また、高校2年で米国に交換留学、大学時代にフィリピンへ交換留学、その後、日本で米国企業に、米国で米国企業と日本企業に、そしてIFCで働いた実務経験など異文化に自らに身を置いてきたことは、国際機関で働く上でとても役に立っていると思います。
 
CTBTOでの仕事で印象的だった出来事や思い出
 
CTBTOで特に印象に残っている出来事は、働き始めてから3回北朝鮮の核実験とその後の組織の対応を直に見ることができたことです。
 
また、現事務局長の就任後の訪日に随行したことも思い出に残っています。この仕事をしていないと会うことのできなかったであろう多くの方々にお目にかかることができ、多くの貴重なお話を聞く機会に恵まれました。
 
CTBTO勤務を通じて得たもの
 
CTBTO は、国際機関としては小さな組織ですが、小規模の組織では自分の役割の幅が大きく、より多くの分野の責任を委ねられます。そのため、自分の視野が広がり、より多くの人々との繋がり・人脈ができて、その結果、自分もより大きく成長することができたという事が個人的には大きな収穫であったと思います。また、財務・会計の専門的な観点と、組織全体をみる戦略・予算という大局的な観点の両面から仕事をやれたということは、自分のキャリアにとり有益なことであったと思います。
 
日本人としてCTBTOに勤務して良かったことや難しいと感じること
 
財務・予算という間接的な立場からではありますが、唯一の被爆国の国民として、核実験禁止の促進に関わる仕事ができたということはCTBTOに勤務できてよかったことだと思います。
 
CTBTOのみならず国際機関一般に言えることですが、日本人は仕事での評価、自己主張のやり方などに対する価値観が世界多くの国々と異なることにより、正当な評価を受けなかったり、誤解を生じたりすることがあるというのが難しいところかと思います。日本人としての良さを保ちつつ、異文化の人々とも十分な意思疎通が出来るというスキルは大切だと思います。
 
ウィーンでの生活の印象について
 
私も家族もウィーンの街をとても気に入っています。古い歴史と伝統、小さな街の良さを保ちつつ大都市に匹敵するアメニティを持った街だと思います。とても安全な街で、公共交通機関が良く整備され、自然も多く残っており、生活環境がとても良いところです。音楽の都といわれているこの街には、世界屈指の美術館もあり、文化的にもとても充実した生活が出来る所です。