天野IAEA事務局長追悼式典における弔辞(北野充大使)
令和元年8月21日
天野夫人,ハインツ・フィッシャー元大統領閣下,コーネル・フェルータ事務局長代行,御列席の皆様
次の言葉を天野事務局長に手向けることとしたいと思います。
天野事務局長
ここでこうしてあなたを送る言葉を述べるとは予想もしていませんでした。今も、あなたがこれほど急にわれわれの前から去ってしまったことが信じられない気持ちです。
ここで、あなたの写真を拝見していると、ウィーンで一緒に仕事をしたこの五年間のことが思い出されます。
また、最初にお会いした時からの四十年のことが思い出されます。あなたに最初にお会いしたのは、私が日本の外務省に入省して1年目の新米外交官だった時のことでした。それから、多くの時が流れました。
天野事務局長
あなたは、ビジョンを持ったリーダー(visionary leader)でした。
世界の動きを見極め、各国の多くの人たちが求めているものを嗅ぎ分け、自分に何ができるかを考える。そうした作業により、ビジョンを示し、それを実行に移したリーダーでした。
原子力科学技術を世界の多くの人にアクセス可能なものにする。それがあなたのビジョンでした。
それは、確実に多くの人たちの生活を変えました。アフリカ諸国、ラテンアメリカ諸国でエボラ熱、ジカ熱が流行した際には、原子力技術が早期の診断を可能としました、ネパール、エクアドルで地震が発生した際には、原子力技術が被害状況の特定を助けました。こうした原子力技術のベースとなる研究所機能を強化するReNuALプロジェクトは、多くの国に支持され、36ヶ国と5つの機関が資金協力を行いました。
そして、こうした原子力科学技術の重視姿勢は、IAEAにおけるダイナミズムを変えました。こうした分野の活動がIAEAのメインストリームの一つとなりました。あなたのビジョンはすべての国に支持されました。IAEAの中で、対立よりは協調が、政治的論争よりは実際的協力がより多くの比率を占めるようになりました。
あなたが掲げた「平和と開発のための原子力」というモットーが多くの国に支持されたことは、あなたがビジョンを持ったリーダーであることを明白に物語るものです。
天野事務局長
あなたは、卓越した外交官でした。あなたが亡くなった後、世界各地の政治指導者からあなたの死を悼むメッセージが伝えられました。その中に、お互いに対立し合っている国々のそれぞれの政治指導者からのものも含まれていたことは注目に値します。
「IAEAは技術的機関である」
あなたはよくそう発言しておられました。その通りと思います。しかし、同時に、IAEAは、プロフェッショナルで中立的な機関であることに徹することによって、国際政治において重要な役割を果たしてきたとの逆説(paradox)に気づかないわけにはいきません。そのため、IAEA事務局長は、必然的に優れた外交官であることが求められます。イラン核問題でIAEAが置かれた位置を考えてみても、そのことは明らかと思います。
マルチ外交の要諦は、すべての参加者を同じようにunhappyにすることだとよく言われます。それは、利害が異なる立場の国を同じようにhappyにすることなどできないから、皆を同じようにunhappyにするしかないという考えによるものです。
しかし、あなたが亡くなった後、世界各地の政治指導者から寄せられたメッセージを見ると、こうした言い方が皮相的なもののように思えてきます。
あなたは、不拡散という国家の安全保障に関わる分野の仕事をしつつ、利害の異なる立場の国から同じように信頼を得ていたのですから。
あなたは、プロフェッショナリズムに徹し、自らの信念を貫くことで、利害の異なる立場の国から信頼を得ました。
それは、外交官の王道を行くものでした。
天野事務局長
あなたは、人生を楽しむことを得意とする人でした。あなたが日本の外務省に入省し、フランスに語学研修に行った際、あなたが選んだ場所は、パリではなく、ニースでした。あなたは海が好きでした。海から陸を眺めること、海をクルーズすること、島を訪ねることが好きでした。
あなたは、ユーモアを愛していました。あなたの周りには、多くの笑いがありました。ご自分が経験した失敗談を面白可笑しいストーリーにして話してくれたのを思い出します。
忙しくても、仕事のプレッシャーが大変でも、余裕と笑いをなくさない人でした。あなたは、一緒にいて楽しい人でした。
天野事務局長
こうしてあなたの写真を拝見していると、もっと長く一緒の時間を過ごしたかったと心から思います。あなたの早すぎる死が残念でなりません。
思いはつきませんが、ビジョンを持ったリーダーについて書かれたある引用を申し上げて私のメッセージを締めくくりたいと思います。
「人生や仕事における多くのものはうつろいゆくものであり、長く続くものは一つもないように思える。一方、ビジョンを持ったリーダーは(取り組んだ仕事の)意義は実際に長続きするもの、永遠に続くものと信じている。そして、自分たちの人生が終わった後も、それが大切な意味を持ち続けると感じているのだ。」
天野事務局長
私には、あなたの仕事がまさにそうだったと思います。あなたと話す機会が持てないことが残念でなりません。しかし,日本の代表として,このように傑出したIAEA事務局長が日本から出たことは,大きな誇りです。
次の言葉を天野事務局長に手向けることとしたいと思います。
天野事務局長
ここでこうしてあなたを送る言葉を述べるとは予想もしていませんでした。今も、あなたがこれほど急にわれわれの前から去ってしまったことが信じられない気持ちです。
ここで、あなたの写真を拝見していると、ウィーンで一緒に仕事をしたこの五年間のことが思い出されます。
また、最初にお会いした時からの四十年のことが思い出されます。あなたに最初にお会いしたのは、私が日本の外務省に入省して1年目の新米外交官だった時のことでした。それから、多くの時が流れました。
天野事務局長
あなたは、ビジョンを持ったリーダー(visionary leader)でした。
世界の動きを見極め、各国の多くの人たちが求めているものを嗅ぎ分け、自分に何ができるかを考える。そうした作業により、ビジョンを示し、それを実行に移したリーダーでした。
原子力科学技術を世界の多くの人にアクセス可能なものにする。それがあなたのビジョンでした。
それは、確実に多くの人たちの生活を変えました。アフリカ諸国、ラテンアメリカ諸国でエボラ熱、ジカ熱が流行した際には、原子力技術が早期の診断を可能としました、ネパール、エクアドルで地震が発生した際には、原子力技術が被害状況の特定を助けました。こうした原子力技術のベースとなる研究所機能を強化するReNuALプロジェクトは、多くの国に支持され、36ヶ国と5つの機関が資金協力を行いました。
そして、こうした原子力科学技術の重視姿勢は、IAEAにおけるダイナミズムを変えました。こうした分野の活動がIAEAのメインストリームの一つとなりました。あなたのビジョンはすべての国に支持されました。IAEAの中で、対立よりは協調が、政治的論争よりは実際的協力がより多くの比率を占めるようになりました。
あなたが掲げた「平和と開発のための原子力」というモットーが多くの国に支持されたことは、あなたがビジョンを持ったリーダーであることを明白に物語るものです。
天野事務局長
あなたは、卓越した外交官でした。あなたが亡くなった後、世界各地の政治指導者からあなたの死を悼むメッセージが伝えられました。その中に、お互いに対立し合っている国々のそれぞれの政治指導者からのものも含まれていたことは注目に値します。
「IAEAは技術的機関である」
あなたはよくそう発言しておられました。その通りと思います。しかし、同時に、IAEAは、プロフェッショナルで中立的な機関であることに徹することによって、国際政治において重要な役割を果たしてきたとの逆説(paradox)に気づかないわけにはいきません。そのため、IAEA事務局長は、必然的に優れた外交官であることが求められます。イラン核問題でIAEAが置かれた位置を考えてみても、そのことは明らかと思います。
マルチ外交の要諦は、すべての参加者を同じようにunhappyにすることだとよく言われます。それは、利害が異なる立場の国を同じようにhappyにすることなどできないから、皆を同じようにunhappyにするしかないという考えによるものです。
しかし、あなたが亡くなった後、世界各地の政治指導者から寄せられたメッセージを見ると、こうした言い方が皮相的なもののように思えてきます。
あなたは、不拡散という国家の安全保障に関わる分野の仕事をしつつ、利害の異なる立場の国から同じように信頼を得ていたのですから。
あなたは、プロフェッショナリズムに徹し、自らの信念を貫くことで、利害の異なる立場の国から信頼を得ました。
それは、外交官の王道を行くものでした。
天野事務局長
あなたは、人生を楽しむことを得意とする人でした。あなたが日本の外務省に入省し、フランスに語学研修に行った際、あなたが選んだ場所は、パリではなく、ニースでした。あなたは海が好きでした。海から陸を眺めること、海をクルーズすること、島を訪ねることが好きでした。
あなたは、ユーモアを愛していました。あなたの周りには、多くの笑いがありました。ご自分が経験した失敗談を面白可笑しいストーリーにして話してくれたのを思い出します。
忙しくても、仕事のプレッシャーが大変でも、余裕と笑いをなくさない人でした。あなたは、一緒にいて楽しい人でした。
天野事務局長
こうしてあなたの写真を拝見していると、もっと長く一緒の時間を過ごしたかったと心から思います。あなたの早すぎる死が残念でなりません。
思いはつきませんが、ビジョンを持ったリーダーについて書かれたある引用を申し上げて私のメッセージを締めくくりたいと思います。
「人生や仕事における多くのものはうつろいゆくものであり、長く続くものは一つもないように思える。一方、ビジョンを持ったリーダーは(取り組んだ仕事の)意義は実際に長続きするもの、永遠に続くものと信じている。そして、自分たちの人生が終わった後も、それが大切な意味を持ち続けると感じているのだ。」
天野事務局長
私には、あなたの仕事がまさにそうだったと思います。あなたと話す機会が持てないことが残念でなりません。しかし,日本の代表として,このように傑出したIAEA事務局長が日本から出たことは,大きな誇りです。