井上(中島)尚子(放射性核種専門官)さんへのインタビュー

平成27年9月21日

(仕事面)

CTBTOで現在されているお仕事を教えて下さい。

主として以下の2つです。1)世界に16ヶ所ある放射性核種の認証済み公認実験施設の全体調整と品質保証・品質管理(QA/QC)プログラムの実施に加え、担当する公認実験施設(8施設)については認証や認証後の品質監査や技術的な相談事への対応をします。2)担当する粒子状の放射性核種観測施設・希ガス監視施設(モニタリングステーション)の建設、機器の設置、認証までを行うという仕事もあります。現在担当しているのは、粒子観測施設はニジェール、希ガス監視施設はメルボルンです。
 

フランスの公認実験施設監査訪問

CTBTO以前にはどのようなお仕事をされていたのですか。

CTBTOに入る直前は日本原子力研究開発機構(JAEA)で福島原子力第一発電所1、2、3号炉内にある溶融燃料を将来取り出す時に、IAEA保障措置のために溶融燃料中の核物質の量を推測・測定するための技術開発を日米共同研究で行うという仕事をしていました。しかし、もともと、大学では環境中放射性核種の分析と挙動解析の研究をしており、その延長でJAEAに入って後も10年程は環境放射能監視プログラムとそのための研究開発に従事していました。そのつながりで、米国サンディア国立研究所で1年半ほど訪問研究員としてアジア太平洋地域の原子力における透明性プロジェクトに参加し、2002年の帰任と同時に保障措置・核不拡散技術開発の部署に異動、そこから約10年ちょっと、IAEA保障措置技術や次世代の原子力システムの不拡散性を評価する手法の開発、核セキュリティの共同研究等を行いました。その間、日米の二国間協力や日米仏や日米韓三カ国間協力、また多国間協力の枠組みのワーキンググループのメンバーとしての仕事がCTBTOに入る前の数年間は多かったです。

CTBTOにおいて、これまで一番印象に残ったのはどのようなお仕事(あるいは出来事)ですか。

CTBTOで働き始めて1年半になりますが、未だに新たな発見の毎日で、一番印象に残ったことを絞るのは難しいですが、私の知っていた国際常識が全く通用しない国があって当惑したことが最近の印象的な出来事でした。テロ等が発生し外国人が立ち入れない状況の中で遅れながらも何とかプロジェクトが前に進みだした時期に、国が突然新しい組織を作り、それまで10年以上に渡って我々と協力して建設準備をしてくれていた組織とは直接コンタクトしてはいけない、と言われるわけです。その際、「こういう文書でこう決められているから、こうして欲しい」と言っても、「我々はこうする」と言い切られてしまうんです。相手が政府の高官だったので、当方も事務局長特別補佐官が乗り出して直接調整してもらい、お互いの理解が得られるまでに1年近くを要しました。

また、職場の出来事で印象的だったのは同僚とのやり取りですが、技術的に非常に優秀な同僚が、あるワークショップで出された勧告の1つを取り上げて「これをプロジェクトとしてやるんだ」と強く主張するんですね。私の責任範囲のことでしたので、「その目的と成果を何にどう反映するのか?」と何度も議論するんですが、同僚は「やるんだ」とか「勧告に書いてある通りだ」と言ってそれ以上具体的なプランが出てこない。そんなことに予算は使えませんから、こちらもしつこく何度も同じ台詞を繰り返すし、他の同僚の意見も聞いて回りましたが、どう考えても自分が正しい…しかし、他の同僚達は私達の議論の時には誰も私に味方してくれないんですよ。2週間ぐらいそれが続いて、関係者を集めて議論することになった。私は前夜遅くに、1枚紙に問題点と提案を箇条書きで書き、それを事前にメールで皆に送っておきました。そしたら、その打ち合わせの席上、同僚たちが口々に私がこれまで行ってきたことと全く同じこと、同じ言葉で言い出したんです。誰も味方してくれないと思っていたのですが、問題を正しく理解していなかったんですね。結果としてその同僚が具体的なアイディアを持っていなかったことが皆にも分かり、彼女をプロジェクトリーダーにして責任を持たせて具体的な計画書を作らせることを合意しました。日本で培ってきた仕事のやり方、プロジェクトの進め方に改めて自信を持つと同時に、諦めないで主張し続けることの大事さを学びました。
 

オーストリアの公認実験施設監査訪問

CTBTOは、日本人の女性にとって働きやすい職場環境だと思いますか。

CTBTOが、というだけでなくオーストリアという国も日本と比べたら働きやすい環境です。CTBTOとしては、1)女性が3割いること、2)家族を維持するための制度だけでなく家族を重んじる文化が根付いていること、3)有期雇用で専門性を重視していること、ということが理由に挙げられると思います。「3割」が何となくクリティカルな割合だと思います。この割合に達する辺りから、女性も男性もなくなり、皆、1人の専門家と見られる気がします。家族を大切にする文化はここでは非常に大切な価値観として共有されています。だから長時間労働はできるだけ皆避けますが、でも、良く働きますよ。ものすごく効率よく集中して働こうとします。長時間労働は家族との時間を減らすことになりますから。制度だけでなく国際機関やオーストリアのカルチャーが男女を問わず働きやすさを支えてくれています。
 

CTBTOの職員との打ち合わせ

(生活面)

お休みの日には、何をされていますか。

毎週土曜日の午前中はマルクト(市場)で買い物をして週末のうちに常備菜を作ります。これがお弁当のおかずにもなります。たまにケーキを焼いたりもしますし、友人達に来てもらってワイワイやったりもします。最近始めたのはホットヨガで、アパートの目の前にスタジオがあったのと複数の友人から勧められたのがきっかけです。週に2-3回1時間半しっかり汗を流します。また、国立オペラ座や楽友協会が近いので、オペラやコンサートにも時々行きます。ウィーンのオペラはレベルが高いと思います。最近ではワーブナーの「ニーベルングの指輪」序章+3部作と4回公演があり、全部行きました。ベルリンフィルの首席指揮者サイモン・ラトルが指揮をするという幸運なめぐり合わせです。ドイツ語で台詞は細かくは分かりませんが、オーケストラは素晴らしく、出演者は音楽的にも演技も見事で、舞台演出も素敵で引き込まれました。10月からは指揮者の佐渡裕さんがウィーン・トーンキュンストラオーケストラの音楽監督に就任されるそうで、少し前は佐渡さんの指揮と盲目のピアニスト・辻井信之さんコンサートにも行きました。楽しかったですよ。

また、ウィーンはこれから季節が良くなるので旅行にも出かけたいと思います。私は致命的な方向音痴なので1人で出かけるのは勇気が要るんですが、少し前に電車でメルクに行き、世界遺産になっているメルク修道院を見て、クルーズでドナウ川を下り、クレムスと言う町からまた電車でウィーンに戻る、という観光コースを1人でまわって来ることができたので少し自信がつきました。もう少し行動半径を広げたいと思います。

ウィーンでの生活でお感じになっていることは何でしょうか。

ウィーンというかオーストリアという国、ヨーロッパは皆似ていると思いますが、この国の人権のとらえ方とか、教育制度だとか、社会制度、医療制度を少しずつ知るにつれ、日本は発想を少し変えれば、もっと皆が幸せを感じる国になれるのに、などと考えるようになりました。この国の人の発想が歴史のどんなところから醸成されたのか、考察することは楽しいです。

決して便利ではありません。けれど、便利ではないことの良さがあります。ウィーンでは日曜、祝日はお店が閉まります。買い物はできません。だから、日曜日は家族と過ごしたり、友達と楽しんだり、と楽しむ・休むことしかすることがない…最初は不便と感じていましたが、慣れるととても居心地がよくなってきました。土日、仕事から離れてしっかりリフレッシュするので月曜の朝から集中して仕事に向かえます。そうすると自然に効率が良くなって、集中する分、長時間働かなくても良く退勤も日本に比べれば早いです。片道30分でアパートに戻る頃には気分も変わって、もう1つ何かできるんです。私の場合はヨガに行ったり、温泉(スパ)に行ったり、友人と出かけたり、本を読んだり、映画のDVDを見たり、でしょうか。

(閲覧者へのメッセージ)

最後に、これから国際社会を舞台に仕事をしたいと考えている人に、何かメッセージをお願いします。

私は帰国子女でもなければ、留学経験もありません。英語はネイティブ並みとは程遠く苦労しています。夫はずっと単身赴任でしたので2人の子供の育児もほとんどを担ってきましたから、いつも育児と仕事は両方とも中途半端でした。米国勤務経験を終えてから、国際機関で働きたいと漠然と考えるようになって、博士号を6年かけて取得してから応募を始め、採用が決まるまで2年かかりました。私がかけた時間と努力に比べれば、若い皆さんは、はるかに短い時間と効率的な努力で採用を得ることができるのではないでしょうか。ハードルは意外と低いかもしれません。志を持ったなら、いかにしてそれを手にするか、前向きに挑戦すると良いと思います。

お子さんがいるのであれば、なおさらです。親の生き方は子供達が見ていますから、それが自分への応援にもなるし、子供達も自身の将来を考える上で選択肢を広く考えることができます。お子さんの存在で、やりたいことを諦めないで欲しいと思います。

我が家も、米国赴任するときは2人の息子を連れて行き、一緒に苦労して一緒に楽しみました。小学校の1年生と保育園の年中でしたので、日本では保育園の送迎、学童保育の問題に直面していましたが、米国赴任中は充実したチャイルドケアのお陰で、日本にいるときより、子育てはラクをさせてもらったという気がしています。

息子達には「日本人」であることにこだわって欲しいと思い、中学高校は「日本人としての教養」を大事にしてくれる国内の全寮制男子校に途中から編入させました。私がウィーンに赴任する時は、次男がまだ高校生でしたが、寮生活でしたので安心して残すことができました。

長男は大学が休みに入るとウィーンに来て、買い物を手伝ってくれたり、昨夏は友人たちとイタリアまで二等の寝台列車で旅行して来ました。次男もこの春大学生になり、母親として、息子達が自分達の道を見つけて進んでくれていることを誇らしく思っています。 長男は大学の交換留学制度を利用してスウェーデンの大学に1年間の留学中です。飛行機でウィーンから2時間の距離なので、週末に時々ウィーンに来てくれます。

ある程度社会人経験のある方なら、応募書類を書くことで、「案外、自分って実績がある」と気付きますよ。それが自信になり、また次の挑戦に結びつきます。関心を持ったなら、採用募集のサイトを開いて、公募公告を見てみてください。そこから全ては始まります。
(了)

(聞き手:在ウィーン日本政府代表部 山田正昭専門調査員)